タダで髪を切ってもらった話
【温泉めぐり】鬼怒川温泉へ行く
こんにちは。
突然ですが、先日鬼怒川温泉へ行きました。
1泊2日の小旅行、温泉を求めて電車約3時間。
温泉は乾燥肌な私でさえつるつるにしてくれるので
最強だと思っています。本気で温泉めぐりをしたい。
さて、"きぬ"という名の特急にも乗り、ウキウキ気分で訪れたのは
食べたいものが食べられない土地でした。
(鬼怒川温泉ファンのみなさまならびに
現地の方にはすみませんがお話させてください。)
これは自分の下調べの悪さがいけないのですが、
温泉!温泉まんじゅう!という気持ちだけで現地へ赴きました。
その結果、温泉街的なものがあるかなーという想像は打ち砕かれ
駅前付近のお土産屋&食べもの屋以外はほぼ宿泊施設。
15時くらいに着きましたが特にできることはなく。
さらに雨だったのでもう温泉に向かおう…とホテルへ。
実はこちらのホテルもあまりよくなく…
素泊まり1人1万円ほどで離れ的なところを予約したのですが、
アメニティが落下していたり全体的に薄暗く、怖い…
さすがに寝れない、落ち着けないとのことで、
本館にしてくれと頼み込んで(笑)
追加5000円かかりましたが本館へ移動。
(こちらの部屋は普通でした。リピートはないですが)
まあホテルの件はレビューを読み込まなかった自分が悪いです。
でも、外の飲食店がどこも午後5時までだなんて!
誰が予想できたでしょうか…(これも下調べの範囲だったのか?)
部屋変えてもらうのでごちゃごちゃして、
少し落ち着いてから出たからもうどこも開いていない…!
結果、コンビニでお弁当を買いました(笑)
温泉旅行まできてまさかのコンビニ弁当。初体験。
フロントで"素泊まりでよろしいんですね?"的なことを
結構強めに言われたのが蘇ってきて、なるほどこういうことかと。
貶してばかりで申し訳ないのでいいところもお伝えすると、
ホテルの温泉は個人的には普通によかったと思っていて、
(レビュー見るとあんまり評価されていませんでしたが)
温泉まんじゅうも美味しかったです。←重要
あと後述するライン下りもとてもよき思い出となりました。以上。
そしてさあ、2日目。
繁忙期なので先に特急でも予約するか、と駅に出向き、
案の定15時くらいの電車しかとれず。
というかこれ取れたのもキャンセル出たからとかで奇跡レベルで。
そのあと朝ご飯食べるために午後5時クローズのお店に。
10時台だったかと思いますが朝は開いていた。(笑)
カツ丼と天丼と親子丼が食べたいとかいう人がいたので、
カツ丼と親子丼を注文…しようとしたら、
"今カツできないんですよー"とあっさり。
えええ、となって天丼に変更(味は美味しかったです)
またしても食べたいものが食べれない…。
そのままモヤモヤしつつも15時の電車までどうしよう、となって
目についたのが鬼怒川ライン下り。
正直1人2700円?高くね?ぼったくりでは??とか
思っていたのですが、全然そんなことなかった。
もちろんもう少し値段が低ければ手がだしやすいけど、
思い出作りとしてはとてもよいと思います。
レインコートくれる上にライフジャケット貸与だし、
思ったよりスピード出るし、
水しぶきは自分たちで避けるアトラクション付きだし、
天候のせいで気持ち濁ってはいたものの
お水綺麗で冷たいし。
もっと天気よければ最高でしたね、あれは…。
到着した下流のところにお迎えバスが来るんですけど、
小さな休憩場があって、食べ物が売ってます。
お団子食べました。美味しい。
新鮮なお魚の塩焼きとかもあるんです。
丸かじりできちゃいます!生ビールとかもありました。
正直ここが一番食べ物美味しかった。
というか好きなもの食べれてる~って感じがあった。(笑)
ライン下りした際には焼きたてお魚と団子をどうぞ。
戻ってからは足湯でぽかぽかしたりして
時間をつぶしました。足湯もほっこりするよね。
駅前だからということもあってまあまあ混んでるのに、
初老くらいの夫婦が新聞読みながら入ってて
長居する気満々すぎたのはすごいなと感心してた。
でも確かに居心地はとてもよかった。
こぼれ話として、2日目の日中、小さな屋台のあるところで
惹かれる食べものがあったので注文しようとしたところ、
"ごめん、それできない"とか言われてしまい
食べものに関しては本当にとことんついてないなと。
カツの件にしろ、繁忙期の日中で売り切れってことはないと思うので
もう何がなんだかわかりません。
こうしてはちゃめちゃな旅は終わりました。
正直マイナス要素が大きすぎて満足とは言えませんが
天候悪く断念したワールドスクエアとかには
今度また行きたいなと思っております。
でもきっとその際は奥鬼怒とか川治とか
そっちを選択しようかな…という気持ち。
今回の旅は悪いことをたくさん書いてしまったので
各施設の名前は出せませんが、
お土産屋に置いてあった、あさやの温泉まんじゅうが
とっても美味しかったことだけは報告しておきます。
次回は草津温泉に行きたいね、と話しているところ。
いろんなところの温泉めぐりをしたいと思います!
[完]
先生体験をしてみた
こんばんは、りこです。
書く書く詐欺をしたままずっと書けていなかったそろばんのお手伝いをしている頃の話をぽつりぽつりと語って行きたいと思います。
※一応やめている形になるのですが、まだしつこく自分の教室という言い方をすることをお許しください。
至って普通の(どちらかというと地味な)中学生活を送って、いざ卒業というときに、小2から通い続けていたそろばんの先生からお願いされたこと。
"教室を手伝ってほしい"
小さなプレハブの中とはいえ、3部制で授業を行っているうちの教室は確かにてんてこまい。特に小さな子どもの多い1部のクラスなんかは動物園状態。3部が自分の所属する時間だから、来れる日だけでもそれまでの時間採点や指導を手伝ってほしいとの旨でした。
前記事でも書いたように、ただ辞める理由なく続けていたわけだったけれど、もちろんそろばんが好きという気持ちもあり、その段階では教室の一番手でもあったのでプライド的なものも相まって、特に深く考えず了承したのです。
◇
実際できることなんて特に最初は全然何もなくて、生徒たちがやってきた宿題や授業中のプリントなどの採点をしながらパソコンがわからないやら壊れたやらの報告を受けたら見に行って…みたいな生活。
ただ途中から謎の責任感(?)が発動するタイプの私は、勝手に教室の模様替えを始めたり、簡単なところは教えたりするようになりました。先生も信頼してくれているので気にかけつつも放置してくれて、とてもいい距離感でお手伝いできていたと思っています。
最後のほうにはもうなんでもやる勢いでやっていたけれど、自分の中できちんと線引きはしていて、
①検定料や月謝など、お金関係の処理は絶対しない→預かって先生に渡す
②初めて習うところはまず先生からの指導
どうしても男の先生より私のほうに来ちゃう子はたくさんいたし(あとまあ女子大生ブランドみたいなものもあるかも)、ぶっちゃけ先生がやる指導と同じことをやろうと思えばできたとは思うけど、まずは先生が教えなきゃな、という意識があったので徹底していました。
なので私の仕事は、説明を聞いてやってみたけどできない、わからない、とか間違いなおししてるけれど合わない…みたいな子への指導がメインでした。
また、1度うまく生徒のケアができなかったり、もう一人手伝ってくださってる方と違う指示をすることが少しあったときに先輩に相談したことがあるのですが、"りこの教室じゃないから"という主旨のことを言われたのはとても印象に残っています。
確かにそうなんです。捉える人によっては、「いや手伝っている以上自分の教室でもあるだろ」みたいな感想になったり、すっごい突き放した言い方じゃんその先輩。って思うかもしれないけれど、私的にはとても大事なことだなって思ったのを覚えています。
これはもちろん、(自分の教室ではないから)適当でいいとかそういう意味ではありません。(自分の教室ではないから)先生のやり方に則った上で最大限頑張ればいいということです。そして無駄に過度な責任を負う必要もない。
そのあたりではっとして、無意識にやっていたさっきの線引きをさらに徹底したり、普通に忙しければ先生にも仕事を返したり(笑)しながら約7年くらいお手伝いさせていただきました。
◇
高校の頃は忙しくない時期は部活を毎回早退して手伝うくらい几帳面だったけれど、大学生になりどうしても間に合わない日が出てきたり、ついに大学3年の頃には実家を出てしまったので行ける日も限られていました。去年のフリーター時代なんて尚更、そろばんに合わせてシフト出していたこともあったけれど難しいことも多く。
先生もたまに気が向いたら顔出してくみたいなスタンスなのによく受け入れてくれてたなあと思います。行けば毎回、今日は助かったよって言ってくれるし。それ聞くとよし次も近いうちに必ず!って意気込んでました。でも平気で1ヶ月くらい行けない
地区大会も、選手としては年齢制限で出れないけれど、お手伝いで裏側で駆け回ってました。これも自分のおじいちゃんおばあちゃんくらいの年代の方たちと一緒に仕事をするという貴重な経験でしたね。途中からうちの先生が機械に強いこともあって、成績処理とかにパソコン導入しだしたから私とか若めの先生ありきじゃないと回らなくなりましたけどね。みんなパソコンわからなすぎて正直イライラしたこともあります(笑)私も忙しいから聞かないで!って思いつつね。下っ端だから言わないけどね!
今年から行けない(というか呼ばれない)と思うのでどうなるのかと心配しております。
今の仕事も事務だけれど性質上(?)先生と呼ばれることが少なくはないという特殊な位置にいるんですけれど、この経験のおかげで呼ばれ慣れしててよかったなという印象です。
そろばんでは最初ずっと、「実は先生じゃないんやでー」とか否定してましたけど、途中からまあいっか。みたいな諦めモードでした。細かくいうと先生ではないけど、子どもからしてみたら教えてくれる人は先生なのだろうし、なんなら自分より大きい"大人"はみんな先生なのかもしれない。
今もそんな気持ちで過ごしているので、そろばん教室のことも度々思い出します。私の中のうちの教室はもう時間が止まってしまっているけど、たぶん今日も教室ではちびっこたちがわいわい騒いでいたのだろうし、進級したよって喜んで、帰って喜んでいる子がいるかもしれない。逆に先生に怒られて泣いてる子はいたかな…?
考えすぎるとキリがないし、寂しい気持ちにもなってくるのでこのあたりにします。
次に会いに行ったら私が以前教えた子たちがとってもうまくなってることを期待して。
現役引退
〇2017年1月
現役引退をしてすべて封印した
_______
そろばんを始めようと思ったのは、小学2年生の夏。たしか7月だったとおもう。
多分、まわりがやってるからとかいうありきたりな理由で、初日はおばあちゃんが作った鞄に筆記具を入れて教室に向かった。
どうせ周りが羨ましいだけで、続けないと思われてたような記憶があるが、結果的には15年ほど通い続けた。
周りは1年生の時から習ってたから開始が遅いほうだったけど、しばらくしてすぐに周りを追い抜いていた。
中学生になったころにはもうほとんど、追い抜いた周りももういなかった。
なぜずっと続けてたのかと問われると、ただ辞める理由がなかったからだと思っている。
今でこそそろばんが好きだったとは思うけど、たぶん当時はやるのが当たり前でやっていただけなところがある。
試験や大会は終わっても次がすぐ来るから、ひとつ試験が終われば次の試験の練習や大会練習に勤しみ…とかやってたら10年くらいひょいっと経っていたという印象。
7,8年目の頃、学年で言うと高校生になる年。
さらに私の思い出を深めることになるきっかけがあった。先生から、教室を手伝ってくれと頼まれた。
この話についてはまた改めて書きたいけれど、今思い返してみればちょうど折り返しの時期なのが面白いなあという印象。
大学生になった頃から、通ってるとは言えないかもしれないくらい教室には行けなくなった。
最後の方なんて3ヶ月に1回ほどやっと顔出しては、みんなにどこ行ってたのーなんて言われる始末だった。
それでもずっと籍を置いてくれてた先生と、いつ行っても親しくしてくれるみんなが大好きだった。
というか今も好きだ。大体の子は覚えてる自信がある。
結婚するために関東へ来て、事実上の現役引退をしたけれど、好きな気持ちは変わらない。
でもこっちでまた始めようとかは思わないので、本当にあの教室が自分の居場所だったんだなと再確認しているところ。
小さなエピソードは語り尽くせないほどあるから、また思い出したら少しずつ書き留めておきたいなと思う。
p.s.まだ力になりたいと思ってるから小さなコラムでも書いていけたらいいのになあと思いつつ自分の文才と相談している。
結局すべて対人間
ふと、思い出すことがある。
学生時代に所属していた団体から辞めた時のこと。
その前に辞める辞めないで揉めたかつての仲間ひとりのことも思い出すし、何より2年生の終わりの究極の選択は強烈としか言い表し用がない。
7人ほどの同じ団体にいた同期が、次年度は主要3役を残して辞めるか別団体に移らなくてはならないというもの。2年生になった頃から少しずつ話し合いはしていたけれど、結局最後まで揺らぎ続けたなあという印象。
かくいう自分も、最初は3役のどこかで残りたいと言ったり、途中でははたまたトップがやりたいといったり、最終的には辞めたいと言ったりとまあひどい揺らぎようだったと思う。
結論から言うと、その団体はもちろん関係団体もすべて断り、いわゆる”一般学生”に戻った。
誤解を恐れず言うと、この判断をしていてよかったといまは痛感している。
□
ただ、辞めてすぐの頃は後悔もたくさんしていたのも事実。元々その中での活動は好きだったし、まだやりたいこともたくさんあった。だいぶ教授たちとの関わりもできてきたかなという頃だったし。
でもそれでも辞めたのは、それに着いてきてくれる人を獲得することができなかったから。意識の差と言ってしまえばそれまでかもしれないが、自分も歩み寄ってなかったとも思える。まだその頃は人と仕事するのが苦手だったような気もするし、周りを信頼できてなかったところもある。
信頼できなくなったのには様々な出来事があるわけだが、なんにせよそのような状況で続けていてもひとり苦しいだけでつらかったと思う。達成感は得れたかもしれないけれど。
同期ともわりと仲が悪くなったりした時期もあったし(自分が思ってるだけかもしれないし、もし何らかの形で同期たちが見ればお前が悪いと言いたいかもしれないけれど)、先輩からも蹴落としたい感(?)が伝わってきたこともあった。
何より衝撃だったのは、団体に残る方向で考えていた時も向いてないだろうみたいなことを言われていたのに、じゃあ別団体も視野に入れようか、と考え出した時にはついに、「お前の仕事のやり方は合わない。一緒に仕事したくない(から来るな)」と言われたこと。
もちろん無視すればよかった話。他の先輩からは評価もらってて逆に来てくれとも言われてたから、そっちに付くような形で移ってしまえば問題なんて起こらなかったとは十分推測できる。
でもその頃の自分には衝撃過ぎて、そこまでするなら辞めようという方向に傾いていった。
□
愚痴だけをたくさん言うことは出来るけどそれもまあ今更なのでこれまでにして、これから同じことを言われたくないから自分は周りをきちんと見て仕事とかそういうことをしていきたいと思う。自分はきちんと下の子とも合わせたり、活かしてあげたりしたい。これを活力にバイトしてた結果、だいぶ円滑に運べたような気もしている。
今後どんなことをするかわからないけど、チームプレイとか対人のものならすべてに共通してると思うから気をつけていきたいな、と。
□
余談だけれど、逆にいうと自分の能力を評価してくれた人や伸ばそうとしてくれた人、引き抜こうとしてくれた人のことはすごく覚えているので、自分もそういう人になりたい…
人を輝かせるしごと
こんにちは。
だんだん最後が増えてきて、そんな今日は地元の成人式。
もちろん成人式なんて3年前に終えているわたしは、ホールでの裏方ボランティア最終日でした。
高校時代に演劇部で主に照明やってて、卒業して大学生になってから使うことないなあなんて思ってた時にそろばん教室の子に吹奏楽のコンサート見に来てくれって言われたのが事の発端。
地元のホールでやってて、照明やってたから結構そのへんをコンサート中見てていいなあなんて言ったら、母が知り合いに話してくれて、よかったらボランティア参加しないか…みたいな運び。
本当に小さなクラブで、入った頃は自分のおばあちゃんのほうが近い世代なんじゃないかって人もたくさんいた。もちろん自分みたいな10代は(なんなら20代も)いるわけなく。若い子が来た!ってみんなは喜んでたけどわたしは馴染みにくかった(笑)
元々簡単にとはいえ経験者だから割と優遇はしてもらって、結構すぐに照明卓を触らせてもらったりお仕事もらったりしてたなあ…
ちなみに、ボランティアだけど交通費&お昼代って名目で1日すこーしだけ手当がもらえます。
実家に住まなくなってからも人手が足りなくてちょこちょこ帰っては手伝いしてて、最近ではスポットライトもたくさんやってました。
そんな今日もスポットライトのお仕事。
まあ演台の人と司会台の人に当てるだけっていうほぼ固定の簡単なやつだったんですけどね!
最初憧れてた吹奏楽の照明卓のお仕事も何回かやらせてもらいました。先月なんて、いつも指示してくれる職員さんがいなくて、本番は完全ひとりとかいう半端ない緊張ものでした。最後の試練ってやつですね。
あんまりわからない人のために説明しておくと、スポットライトは記事頭の写真のやつで、まあ普通に1人だけぱっと明るくしたりするやつですね。
照明卓は舞台全体の明かりを操作します。後ろに色つけたりとかいうのもそれ。真上から降り注いでる光もそれ。結構大変なのもこれ!!
別にみんなもボランティアやれよとかいう啓発者ではないのですが、普通に過ごしてればまずできないことやらせてもらえるのはほんとに財産になるよね。興味あることはどんどん学べるしね!私の場合はそれが舞台裏方だったって話。
実を言うと八の字巻きもうまくはやくできないし、シーリング以外のシュートはしたことなくっていいとこだけやらせてもらってた感しかないのですが(笑)たのしかった〜
なによりスポットライトに関しては昔は全部マークつけてからじゃないと狙えなかったのに今じゃ突然ここに当てて!って言われてもできるからな…ほんとに成長しました〇
最後にホールの事務所の方でいつも私に声かけてくれる人に今日最後だったんです、って挨拶したらすごく驚かれました。また遊びに来てくださいねって(笑)そう言っていただけるのはほんとに嬉しいです。
いつもの職員さんにはばたばたしてるときでお疲れ様でしたしか言えなかったし、部長は先月のときで会えるの最後だったのでなんかもやもやしますが、終わりました。仕事納め。
なんかの形でまた触れたら面白いけどな〜、と思うので仕事あれば呼んでください(笑)
では、新成人のみなさまおめでとうございました。
あけました
あけましておめでとうございます
2017年になりました。
年末からばたばたしてたしバイト漬けだしあまり実感は湧きませんでした。
もう5日経ったのもあまり信じれない
今年はもうすぐ生活が変わるので、家事をがんばりたいしか各方面で言ってなくて笑う。実際がんばるけどなんか他にもないのか?っていう。
ちなみに家事を具体的に展開すると特に掃除がんばりたい。綺麗に保ちたい。美しくなりたい(環境、そして自分も)
料理は嫌いじゃないけど、いくつかのものだけでもぱぱっと作れるようになりたい。これは慣れかなあ
2015年は半年ほど実家で過ごしてから残りをおばあちゃんちで、2016年は頭3ヶ月くらいをおばあちゃんの家で過ごして、残りを一人暮らししてたわけで。
2017年は予定では半月くらい実家に戻った後にお引っ越し。
波乱万丈ですね。
あとこれは今年に限ったことじゃないですがゲームがやりたい…!そしてたくさん寝たい!!!
自由がほしい!!!!
現場からは以上です。